僕のブログを覗いていただき、ありがとうございます。
ここにたどり着いたということは少なからず、僕と共通点があると思ってます。
僕と共通点がある、似ている人には僕と仲良くして頂けたら嬉しいです!
僕は現在、会社には勤めておらず、一日中自由に過ごしています。(といってもやることはやっていますが笑)
アフィリエイトとWebコンサルティングで生計を立ています。(正確にいうと他にも幾つかあります)
僕がなぜこんなブログを始めたのかというと、それは
『自分には何もないと人より劣等感を感じている人の役に立てたら良いな』
と思いブログを始めました。
といっても最終目的ではなく、僕と同じ価値観を持つ仲間を探すことが僕の最終目的です。
その仲間と旅や遊び、仕事など様々な事が出来たらなと思っています。
自分(moya)には何もなかった
今でこそ僕は
・家族
・仲間
・時間
・健康
・資産
・仕事
など様々なものを手に入れることができました。
といって今から2年前の僕は『何もなかった』です。
2年前の自分から今の自分は正直、想像もできませんでした。
ただ、現実として今の僕がいます。
僕がなぜ沢山のモノをモテるようになったのか。
そのストーリーをぜひご覧ください。
moyaのストーリー
僕は平凡な家庭に生まれました。
メカにとても強く、狸のように太った優しい父。
働きアリのように働く、心配性の母。
天然だけど、何かと器用な姉。
正直、特に特徴がないどこにでもいる普通の家族です。
裕福な家庭ではなかったですが、特に不自由なく暮らしていました。
保育園、小学生時代はかなりの甘えん坊、
よく姉の後を付いて回っていました。
中学時代はバスケットボールにハマり、部活に入って、頑張って練習をしていました。
ただ、センスがなく補欠でほとんど試合には出させてもらえませんでした。
顔もイケメンではなく、どちらかという普通以下。
もちろん全くモテません。
成績は昔から下から数えたほうが早く、とても頭が悪かったです。
物覚えがとても悪く、1年間同じクラスにいる人の名前も覚えていませんでした。
そんな頭の悪い僕だから、毎年赤点をとっていました。
高校時代では何度も追試になり、危うく留年をしかけたことも。
テストではクラス40人中38か39位。
親からしたら目も当てられません。
何度も学校へ親が呼び出され、何度も先生に謝っていました。
頭が悪かったわけですが、決して不良だったわけでもありません。
むしろ、真面目だったと思います。
真面目に聞いて頭が悪い。
どうしようもありません。
そんな何もできない僕だったので劣等感も人一倍あります。
劣等感だらけの僕でしたがなぜか性格は脳天気。
口癖は
でした。
今思えば何の根拠もありません。
専門学校で挫折
専門学校へ進学するも、もちろん頭が悪いのでテストでは最下位を何度も連発しました。
専門学校の友達は『僕=頭が悪い』としっかり理解されています。
良いことではないのですが、それくらい常に頭が悪かったのです。
その専門学校で遂に僕の人生に大きな転落期がきました。
留年です。
今までなんとかなっていたので僕は進学できるものと思っていましたが、どうにもなりません。
更に追い打ちをかける出来事が。
留年が決まり、親へ報告。
今でも覚えています。
感極まり、号泣しながら報告。
と泣きながら言われました。
僕の考えは甘く、もう一年行けると思っていましたが、その甘い考えは見事に打ち砕かれました。
ここから僕の転落が加速します。
社会に出て何もない自分を痛感する
高卒で専門中退の学歴なので社員ではどこも雇ってくれません。
とりあえず何か仕事をしないと…
と思い、テレアポでバイトを始めました。
資格や特技があるわけではないのでまともに雇ってくれるところはありません。
毎日、不安の夜がきます。
自己否定ばかり。
心がどんどん病んできます。
漠然とした不安に襲われ、何度も涙で枕を濡らしました。
何とか就職できたと思えばその企業はいわゆるブラック企業。
毎朝6時から出勤して家に帰るのは夜の23時。
17時間労働で毎日外周りの個人宅営業。
少額の営業なのでサボることはできません。
休日出勤は当たり前。
そんな日が毎日のように続きました。
僕の転落人生はこのような形で20歳から25歳まで続きました。
25歳に災難が起こる
そんな中、網膜剥離や骨折など次々と災いが起こります。
ただ、その災いを喜んでいる僕がいました。
どんな神経してるんだよ!って突っ込みたくなる人もいるかもしれませんがそれくらい仕事に切羽詰まっていました。
今思えばここが大きな転換期でした。
このまま、この企業で務めていたらダメだと思い26歳の頃、別の会社へ転職しました。
26歳で転職を決意
たまたま入社できた会社は会社や人に恵まれ人並みの生活ができるようになりました。
ただ、将来への不安が拭われたわけではありませんでした。
それは
「僕には何の能力もなかった」
からです。
その何もない僕でしたが、一つあるものがありました。
借金です!
本当に笑い事ではありません。
お金に余裕はできましたが全くと言って貯金出来ていなく、借金も返せてなかったのです。
貯金ほぼなし。
借金200万(奨学金除く)
金、コネ、資格なし。
それに気づいたのが29歳のころ。
当時付き合っている彼女がいて、その彼女と結婚したいと思い、思い切ってプロポーズしました。
なんとプロポーズは成功。
ここから幸せな人生が来ると思いきや、次に様々な問題が出てきました。
それは
・婚約指輪 50万円
・結婚指輪 20万円
・結納資金 100万円
・新婚旅行資金 80万円
・結婚式資金 100万円
・引越し代 50万円
です。
すべての行事が終わるまでに1年間の余裕がありましたが、計算すると400万円
当時僕の給与は人並みでしたが、借金400万。
毎月の給与で貯金を頑張ったとしても月10万円。
1年間で120万円。
120万(貯金)-400万(支出)=借金280万円
借金400万円(元々)+借金280万円(新しい)=680万円
そこからは自問自答
という具合に、ない頭をフル活用し始めました。
何もない僕からの脱却
じゃあ別の仕事をして稼ぐしかないと思い、あるスクール(セミナー)に通い始めます。
そこが僕の転機になりました。
それは僕が師匠として現在も尊敬している方との出会いです。
師匠はサラリーマンが資産を増やすためのセミナーなどしており、
・広告業
・スクール業
・輸入業
・アパレル業
・不動産
・株
・保険
・債権
・為替
など、様々なビジネスや投資を行っていました。
年齢は60歳を超えていますが、とても若々しく、知識が豊富で僕の知らないことを沢山知っていました。
と思い、高額なセミナーの参加を決意。
今思えば安い投資でしたが当時はお金もなかったので、セミナーに行くために借金。
僕にはとにかくがむしゃらに進むしか選択肢がなかったのです。
なので学ぶからには分からないことは徹底的に調べ、それでも分から無いことは聞く。
そういったことを繰り返していくと、いつの間にか沢山の知識が付き、なんと1年間で700万円程の収入ができ、借金返済も出来ました。
そこからビジネスの基礎を習い、今に至ります。
僕のストーリーの考察
僕のストーリーを見て頂きましたが、今改めて考えると6つの重要な点がありました。
それは
・専門学校の中退
・ブラック企業への入社
・骨折と網膜剥離
・結婚の決意
・師匠との出会い
・借金からの借金
です。
専門学校の中退
専門学校の中退までは特に何も考えずに生きていけました。
中退をすることで人生に対して真剣に向き合えるきっかけを作ってくれました。
ブラック企業への入社
社会の厳しさを教えてくれた会社です。
ここでは弱かった精神も鍛えてもらいました。
骨折と網膜剥離
人生を本気で見直す時間をくれました。
この時間で主観的ではなく、客観的に物事を捉える力が身につきました。
結婚の決意
結婚をすると言うことで目標ができました。
その目標ができ、期限が決まっていたので行動することができました。
師匠との出会い
師匠との出会いが人生観を180度変えてくれました。
また、師匠だけではなく人と出会うこと、環境を変えることで自分は変わるとわかりました。
借金からの借金
借金をしているのに更に借金することは良くないと言われています。
ただ、その借金がそれ以上の利益を生む可能性のある投資に関しては、借金を追うべきときもあると分かりました。
その当時は気づいていませんでしたが笑
今でこそ全ての出来事に感謝しています。
本当に僕には何もありませんでした。
何もない自分だったからこそ、この世は知らないことだらけでなんでも吸収出来たのかなと思います。
今の僕だからいえますが、何もないことは決して悪いことではありません。
と僕は思っています。
moyaがしなければいけない事
僕は人から学び、多くの技術を手に入れ、今では特に不自由なく生活が出来るようになりました。(贅沢できているとまでは言えませんが笑)
こんな感じで仕事をしている時もあります。
後ろ姿ですが僕です。
同じように知識や技術を手に入れ実践すれば、大抵の人は僕より沢山のモノをモテる人になっているかと思います。
謙遜ではなく事実です。
今度は僕が師匠からしてもらったことを、みんなに返していかないといけないと思ってブログをやっています。
僕のやっている仕事や何もない自分から脱却するためにやっている事を更に知りたいと言う方は、『ブログ完全マニュアルプレゼントのメルマガ』の登録をオススメします。
ご覧頂きありがとうございました。
moyaでした。